西堀栄三郎

ボイスを通して見えるもの

11月21日水戸芸術館で開催されている「ボイスがいた8日間」を観てきました。
ヨーゼフボイス(Joseph Beuys)は芸術、思想、哲学あるいはポリティクスと広範にわたる活動をしてきたこともあり、専門的な扱いの人間と思っていましたが、いよいよ一般の人々こそが彼の活動を見直さなければいけないと感じる時間でした。以下感じたところを幾つか。

「資本とはいわゆる金融、お金ではとらえられないものです。わたしたち人間の創造力、創造性(the power of human creativity)こそが唯一資本であるということが明らかになる日が来るでしょう。」ある展示室に掲載されていた言葉です。実に溜飲が下がる思いです。70年代前半頃のものでしょう。資本(Capital)が金融(Finance)に依存するなど今となっては狭義のことにも捉えられるでしょうが、当時は資本主義邁進真っただ中。現在で派生して言われるのは人的資本(Human Capital)くらい。しかしこれも怪しい存在です。人材(人財)に求める基準とは一体何なのか?結局「組織」という枠組みの中で必要な人材を求める謳い文句に過ぎないのではないでしょうか。意地悪く言えば、イコール我が社の労働力。今大事な次元は社会全般での資本。Capitalはラテン語で元来生命を示す言葉。それが日本語になるとバランスシートを連想させる単語になってしまう。(ボイスが資本主義を否定しているからこういう表現になると言ってしまえばそれまでだが)なかなかボイスの言う‘人間の創造力’こそが唯一資本である、というところまで腹の底から思うまでにはいかないのではないかと思います。

日本語で「創造性」というと新しいアイデア、他にない独創性、発明など結果としての発案が連想される、あるいは刷り込みがされている向きがあると思います。その方が曖昧でなく解りやすいですから。しかし、本質はどうでしょう。‘創造性とは何か?なぜ重要かつ資本なのか?’ボイスの提言に向き合わねばならないと痛感しました。そこで今自分が思うことに近く、自分の中での定義のようになっているものを紹介しておきます。ボイスの言う創造力、創造性にどこまで対峙できるか。
西堀榮三郎は第一次南極観測越冬隊長として夙に有名です。しかし彼の本来は日本における品質管理の創始者的存在の人であり、現場の問題解決を紐解く神様のような存在です。彼はある著書の中で「創造性は人間の本能」と言っています。(これはサルを引き合いに出してるのだが、また別の項で)「創造性というのは『考える』という行為に対して起こるもので、まったく独創的な発明から私たちの身の回りの小さな工夫にいたるまで、ありとあらゆる場面において発揮できるものだということが分る。創造性とはまさに人間の本能で、神様から与えられた最高の贈り物なのである。」そして総論として‘自我の確立の必要性’と‘他我を認める’ことを創造性の重要な要諦と述べ、自我=強い個性があってこそ異質が生まれ、異質があるから別の新しい概念が生まれてくる。そして異質を認めてこそ個性が生かされ創造性が生まれる、ということを述べている。
さらに創造性についての各論がまたいい。「創造性とは、従来常識と考えられていることとは違う『非常識でやる』ことであり『非常識にものを考える』ことであるから、それは並大抵のことではできない。・・・私は、新しい着想なり発想はそれ自体で自然に大きく育って予期した通りの結果になることもたまにはあるが、ほとんどの場合それは望めないと思っている。非常識な発想がモノになるためには、それをする『馬鹿』といわれる人と、それを育てる『大物』が現れてこなければならないと思う。そうでなければ、素晴らしい着想も単なる『絵に描いた餅』に終わってしまう。」まさに自我の確立と他我を認める相互関係が想像できる。
今、国際競争力が課題となっている現状において「異質」がキーワードなのかも知れない。

戻って、ボイスはいわゆる鑑賞としての芸術作品を残したとは思わないし実際見ても良くわからない。先に述べた思想として、人間、創造性、芸術、科学などを時代に応じて向き合うことへの「問いかけ」をされているのだと感じた。そして主体として行動する基軸を提示されているのだと。70年代から80年代の経済成長から現在の状況を比較するに今どう考えるべきか、今後十年は何が大切になってくるか、こう問いかけられているような半日であった。
余談ではあるが、東京藝大の学生と来日した84年に対話してる当時のビデオが流れていたが、集会の油絵科の代表が宮島達男であったのも時代の転換を感じさせられた。

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