Column

北欧見聞 – 街のデザイン、空間のデザイン (その一)

数年ぶりの海外。そこで触れる関心の一つが街の雰囲気であり、造り方です。今回のデンマーク、スウェーデン、ノルウェーは初めてですから時間の許す限り裏通りも出来るだけ歩いてきました。
まず「街のデザイン」。
コペンハーゲンでは古いレンガ造りとモダンな建築が無理なく隣り合わせている。言わば意図的にそうしてるのだろうがわざとらしはない。イタリアのミラノや ローマなども中世と現代が混在しているが、調和というよりも断層的共鳴という思いが強い。しかし、ここは整然とし、見事に融合させている。批判されること を意識しているのではないか、とまで思わせる街の構成である。家具、陶器などのデザインが生まれたのはこうした町並みがあったということとは決して無関係 ではない、と感じた。

一方、町並みを構成する道路も見るものがある。有名な自転車専用レーンがその代表格。ほとんどの幹線道は整備されている。70年代からの取り組みだそうだ が、ここまで出来ているのは、当初より目的にブレることなく追求し続けることの凄さであろう。道路が平坦であることは何より利点であろうが、自動車購入税 (関税)がおそろしく高い(あえてそう設定している)、そして自転車にシフトさせるから必然道路も仕組みを変える。芯が太い目的意識がなければ、こういう 長い取り組みには成り得ないのだろう。
自転車は車両である。よって道路で分離する。当然車の路上パーキングなどは別の構造にする。信号の構造も変える。子どもや荷物を載せるのにカーゴ自転車も発達する。工夫するからいろいろとアイデアも産まれる。まさに地に足がついた思考と行動だと感じた。
縦割り行政だから、経済効果がネックだからなどとの言い訳しか唱えられない日本はどうであろう。根本的な思いへの弱さ、未来へのイマジネーションの希薄さだけでは済まされない時期が早晩来るのだろう。

街の色」も大切な要素。「色」は土地の気候、地方、都市部などによって左右されるものだから個別の考え方があろうが、下地としての色を考えることは共通し て大切ではないだろうか。森があれば四季を通した色をベースに建物を考える。青い海と空があればそれが前提となる。豪雪地帯では白い器よりも織部や色絵な どの器が好まれて用いられると聞いたことがある。引き出し合う色の構成が生きて来る。だが問題は都市部である。そもそも前提がはっきりしない。東京であれ ば戦後のバラックから家がセッセと建てられ昭和を経て今に至る訳だから色を取り仕切る根っこのようなものが存在しないと言ってもよいのだろう。となれば人 為的に作ることが重要となる。今のどこの都市部でも広告や看板の色が出過ぎて「街の色」を感じる目など養われないのかも知れない。アートでカラフルにする ような活動も良いが、そもそもの下地があってこそではなかろうか。そんなことをコペンハーゲンのニューハウン(Nyhavn)の町並みを見ていて思った。

「空間のデザイン」の前におまけ2つ。これもある結果としての空間デザインなのだろうが、カッコいいスウエェーデン製のリフト。見かけたのはヘルシンキ。Dinoというから恐竜のように伸び上がるのであろう。構造がシンプル。置いてあっても邪魔に見えないなど何か気になりました。

次にコペンハーゲン中央駅隣りにあるニイカールスベルグ美術館(Ny Carlsberg Glyptotek)ビール会社カールスバーグ所有だが彫刻コレクションが見事。が、その中にあるホールを見て驚き。これだけのセブンチェアを一同に見るのは初めて。さすがはデンマーク。壮観でした。

北欧見聞 – RAUSとの出会い


デンマークのコペンハーゲン中央駅からヘルシンゴー経由でフェリーに乗りスウェーデンのヘルシンボリへ。Anders中島さんが迎えに来てくれていました。此の地にある陶のRAUS工房を引継いだのは美術家の中島由夫さん。
Andersは一人息子で工房をマネージしながら本人も絵を描きます。工房が創業したのは1911年。スコーネ地方では焼き物に適した土が産出したため、ドイツからの技術を持ち帰った人々が窯業を発展させまし た。最盛期には10件もの大きな工場がありラウス工房でも50人もの職人が働き、毎月のように窯炊きしていたということです。しかし、時代の流れか ら工房の運営が愈々困難になったところ、それを5年前に引き継ぎ、今では年に一度石炭窯で焼いています。使う石炭は7トン!とても大きな窯で詰めれば三千は入るとのこと。窯入れ1週間、火入れ1週間、冷ましに1週間、そして窯出しに1週間とおよそ1ヶ月かけて制作。塩釉は窯の痛みが激しいためそろそろメンテナンスが必要だけど資金面が大変でどうなるか、とのこと。

カタチや丸みなどが日本の器と比べると洗練が足りないところもありますが、セッ器特有の素朴さが今の時代にない懐かしさを覚えます。ホガナス(Höganäs)の工場兼ショップに立ち寄りましたが、巨大な石炭窯はあるもののモニュメント的に見せているだけでガス窯で焼かれておりRAUSとのテイストの違いは歴然でした。土産物と作品ほどの差とも言えるでしょう。創業からそろそろ百年経つ訳ですから、工房にはアンティークの趣きを感じさせる場所が其所此所に存在しています。

RAUS陶器を日本で扱わないか、という誘いをいただき少量ながら輸入販売をしていますが、Andersそして由夫さんとの出会いこそが今後の楽しみです。背後にある歴史やストーリーそして人の生き方に直に接し合えることに感謝です。

表現のチカラ

以前、目白にあるギャラリーで丸木スマさんの絵にふれる機会がありました。展示してあるスマさんの絵はほんの数点で、絵本作家たちがオマージュとして制作 した作品が主体でした。
そこで一点のスケッチに目が止まりました。ヒゲの男の上半身を画いているのですが線が滑らかで実に力がある。店の方に伺う と丸木俊の作だと。俊さんはスマさんの娘であり彼女が七十歳を過ぎた頃に絵を描くことを勧めたのはその俊さんだったということだそうです。他に2点程あっ たのですがかなり作風が異なるのでますます興味を持ち、さらに訊ねると埼玉県の東松山に丸木美術館がありそこで多くの絵が見られるとのことでした。
都 心の桜も見頃を過ぎた頃、東松山市下唐子の「原爆の図丸木 美術館」を訪ねました。美術館の隣の林越しには都幾川の流れが一望でき実に静かな場所にあり、遅咲きの桜も満開でした。ギャラリーの紹介で俊さん の姪御さんに当たるひさ子さんにお話を伺うことができました。比企丘陵の豊かな自然が気に入りそれまで活動していた藤沢市の片瀬のアトリエより越してきて 1967年にこの美術館を開館しています。

名が示すようにここには多くの原爆に関わる作品が収められています。夫である位里氏の両親が広 島に住んでいたことで、原爆投下から一週間後に現地に入っています。そこで目にした様子は伺い知れないものがあります。その後俊さんは、原爆の後遺症のた め長く体調を崩していたことから48年に前述の片瀬に居を移す事になります。ここで夫妻は原爆の記憶を描こうと決めたと言うことです。
初作は50 年の日本橋丸善画廊に出品した「幽霊」でこれが第一部になります。そして、82年の第十五部「長崎」まで実に三十年に渡り描き続けていました。まことに大 変なことです。彼らは原爆の図の他に水俣や三里塚闘争、アウシュビッツや天安門事件なども題材に描いています。イデオロギー的要素もあるのですが、純粋に 表現力の凄さに圧倒されました。特に第三部として描かれた「水」という作品の細部に渡る描写力にはおもわず立ち竦んでしまいました。
近隣の小学生 達も授業の一環で訪れるようです。ほとんどの子が、その作品群に恐ろしがって騒いでいるそうです。
冷暖房施設が資金不足で直せないため夏は暑く冬 は寒いのです。一番良い季節に来た、とひさ子さんたちは笑いながら話をされていました。こういう美術館こそ大切にされるべきだと感じつつ帰路につきまし た。

これに出会う切っ掛けをいただいたのはポポタムと いう古書店兼ギャラリーです。実は、スウェーデンの画家アンデス中島さんの個展に所用があってここを訪れた際に次の企画展である丸木スマさんのことを知っ たというわけです。
因みに、出会ったスケッチはCONTRASTO GALLERIAの片隅に掛けてあります。俊さんが70年にニューヨークに行った際に描いた髭の男です。

アートと日常

大竹伸朗の企画展に行ってきました。2001年に直島コンテンポラリーアートサイトのThe Standard展で元酒店を改造した作品(落合商店だったか?)を見て以来ですからまともに見るのは5年ぶりでしょうか。東京都現代美術館3フロアをフ ルに使っているだけあってさすがに壮観でした。ややお腹一杯にはなりはしましたが、今見ても光るものあり相変わらずのガラクタありと非常に楽しませてくれ ました。

そこにあるのは「美術」ではなく間違いなくアートワークだということを強く感じました。そして実に身近なモチーフが存在してい ます。スクラップブックなどは典型であり、荷物タグやマガジンの切れ端、古い写真、ポスター、広告看板の類いが素材になっていることで違和感なくむしろ親 近感を持って接することができます。
そもそもこうした素材は気に留めなければその辺りにころがったままのモノやゴミで終わる代物に過ぎません。 アーティストであればこそそれらを生かし表現として捉えることが出来、一般市民は、その「作品」を鑑賞するあるいは感じとることと言ってしまえばそれまで かも知れません。
しかしこれをちょっとした理屈を持って眺めるに、「自己表現」と言うより、「在るあるいは在ったものを理解する」ということに置 き換えてみると実に意義があるように思えてきます。誰しも少なからず日記や手帳に今を記録します。昔の写真などアルバムに多く保存しているでしょうし、 ホームビデオで撮った画像を見ないまま仕舞っている人もいるでしょう。それらを時系列やランダムにでも貼付けて行くなど、起きた事象を改めて理解するのに 随分と面白いアクティビティーのように感じます。理解は発見を誘起することにもつながります。今流行の大人のぬり絵で楽しんだり、絵画や昔のおもちゃの収 集など何か陳腐な行為にも思えてきます。
例えば、結構出来の良かった当時の小学校の通知表(結構残ってたりします)を台紙にして今までの節目の出 来事や気になって取ってある役にも立たないモノなどを貼付けていけば自分流コラージュが出来上がるはずですし、新たに何かを知る切っ掛けになるのではと感 じました。
そんなことを思い巡らしながら大竹ワールドを漂ってきました。
それにしても2000点もの作品、搬入が大変だったろうなあと変 な感心もしてしまうほど
でした。

遊ぶ努力

北大路魯山人の残した文にこのようなものがあります。
「(略)今後十年私に健康を与えてくれるなら、なんとかしたものを遺すべく努力したいと思っ ている。努力といっても私のは遊ぶ努力である。私は世間のみなが働き過ぎると思う一人である。私は世間の人がなぜもっと遊ばないかと思っている。画でも字 でも、茶事でも雅事でも遊んでよいことまで世間は働いている。なんでもよいから自分の仕事に遊ぶ人が出て来ないものかと私は待望している。仕事に働く人は 不幸だ。仕事を役目のように了えて他のことの遊びによって自己の慰めとなす人は幸せとはいえない。政治でも実業でも遊ぶ心があって余裕があると思うのであ る」
一昨年、島根県安来市の足立美術館で出会った言葉です。学芸員の方の好意で写させていただきました。出典は雑誌「星岡」からの引用だというこ とです。文脈と星岡の刊行時期から推測するに昭和十年くらいではないかと思います。自身のキャリアの節目で出会ったことからそれ以来心に残っている言葉で す。

さて「ハイコンセプト」(Daniel H. Pink著)ネタの最終回です。
前回からかなり間が開きましたが、今回のキー ワードは「遊び心」。
既に触れましたが、20世紀の情報化(ナッレジワーカー)の時代から今世紀は創造が鍵となるコンセプチュアルな社会になって いくと著者は言います。情報や技術の進化はグローバルレヴェルでの労働力のシフトを加速させることに加え、ルーチン業務はおろか高度な専門家領域までの職 を奪ったり仕事価値のあり方を変えることにつながります。例えば法律の世界でもウェブサイトで法令書式の作成を支援したり離婚の相談などを安価で提供する サービスが増えています。その影響から弁護士達はより安い報酬で仕事を引き受けるか、より高度なサービスなり付加価値を提供出来なければ生き残れない時代 になって来ていると論じます。著者は、こうした産業構造と仕事内容のシフトが進む世の中で、個々人に必要とされるスキルや感性を「デザイン」「ストーリー 性」「調和」「共感」遊び心」「生きがい」の六つのキーワードで取り上げています。
当コラムではこれまで「デザインの重要性と創造性への寄与」 「バラバラな個々を繋ぎ合わせて全体観を作る調和(シンフォニー)」について自身思うところを述べてきました。そして今回は「まじめだけでなく遊び心」で す。

二社の企業事例をご紹介します。一社は本著にも登場しているサウスウエスト航空、そしてシアトルにあるパイクプレイスフィッシュマー ケットです。どちらも米国企業です。
サウスウエスト航空は米国内都市間の近中距離路線のみなので日本ではあまり馴染みはないのですが、北米では輸 送乗客数で3位。あのユナイテッド航空より上です。格安を売り物にし機内食は出さず(今では珍しくないですがかなり前より導入)チケットレスを導入(電子 化の前は何とレジのレシートがチケット!)。機種をB737に統一し効率化とコスト削減を徹底してやる航空会社です。ここまではある意味想像の範囲内です がユニークなのは乗務員達の仕事への取り組みです。自身乗る機会はこれまでありませんが十年程前にたまたま乗り合わせた当時の同僚の話ではキャビンアテン ダントが手荷物入れの中に隠れていて搭乗して来た乗客を驚かすとか、とにかく陽気らしいというのを記憶しています。彼らは仕事を一種のイベントのように捉 えて自分達が楽しんでいるらしいのです。これらのことは「Nuts(破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営)」という書物に詳しく書かれていますが、最大のポイントは従業員を経営資産の第一とし顧客は第二としていることです。家族主義を唱えて従業員 達の相互理解を進める取り組みや、○○賞など報奨制度を設けたり社内イベントも多く実施している。そして極めつけが「仕事を面白くせよ」の社是。ユニ フォームはやめてポロシャツやチノパンなどの普段の遊び着を着用し、客室乗務員はフライトを楽しくするヒントやゲームを集めた本を所持していたりする。先 の荷物入れの中に隠れて驚かすなどもこの一つなのでしょう。これらの徹底したユーモア精神を理解する好例が採用試験問題の中にあります。「最悪の事態を切 り抜けるためにあなたの最高のジョークをここで言って下さい」
こうした取り組みの結果として、顧客第二主義と言っているにもかかわらず、全米での 顧客満足度は常にトップレベルで業界随一の生産性を保ち、きわめて低い離職率と欠勤率を保持している。言ってみれば「ユーモアと遊び」は創造と革新に大き く貢献している好例ではないかと思います。
もう一社は、自身が7年前に某国内企業の企業風土活性化の取り組みを行っていた時に知ったパイクプレイスフィッシュマーケットです。シアトルにある魚市場です が世界で最も有名かつ活気がある市場であり、とにかく一度見たら忘れられない特徴がります。それは魚があちこちで飛び交うのです。お客さんが商品を選ぶと 店員のお兄ちゃんが商品のサーモンやカニを投げる。するとレジ付近にいる別の店員が見事にキャッチする。観光客も多く、楽しく盛り上がっている様子がネッ トでも見れます。HPの中央にあるfun staffのタブをクリックしその中にあるsight & soundsを開けばオモシロ画像がQuicktimeで見れます。必見です。とても皆楽しそうに仕事しています。遊んでる風でもあります。なぜこんなこ とをやってるかというと「自分たちの仕事を面白くするため」であり結果としてその面白さをショーのごとくお客さんに分けてやるためだと言うのです。しか し、始めからこんな楽しそうに仕事をしていたわけではなく1980年代は倒産の危機にもありそこには活気の欠片もなかったといいます。それを変える切っ掛 けが店員に運営とやり方を任せたことにあります。店員たち自らがいろいろ考えを巡らした結論が「仕事そのものは選べないけどどんなふうに仕事をするかは自 分で選べること」そして「自分たちが仕事を楽しみそれをお客さんにも分けてしまおう」ということで魚やカニを投げるアイデアに行き着いた。それも出来るだ け華麗に。
こうした結果が2000年には以前の数倍の売り上げと店員の倍増という数字になったということです。そして今では観光名所であることは ネットからもおわかりになるでしょう。

なぜこの二社を選びご紹介したかというと、共に事業に革新をもたらしながらも業績を飛躍的に伸ばし ている。しかも継続的に。なにも、真面目が悪く遊びが良いというわけではありません。決まった(決められた)仕事を真面目にこなすだけでは企業間の差はそ れほど大きく開きません。効率化の工夫にも限りがあります。しかし創造性や革新性を見出し実現させる源が「ユーモアや遊び」にあるという事実をこの二社か ら学べば侮ることなく多いに着目すべきキーワードではないかと思います。

これまでの日本(人)はともすれば、枠組みや規律を持ち行動の制 約などを金科玉条のごとく大事に扱ってきました。しかし世界に誇れる革新性を持った企業がどれだけあるでしょう。景気の動向に振れやすい予定調和型のビジ ネスが相変わらず体勢を占めています。さらに言えば様々な不祥事や事件は増加の一方という事実もあります。これを遊びが無い(魯山人の言葉を借りれば余裕 がない)からと結びつけるのは性急かも知れません。しかしヨーロッパの名立たる企業がレゴのブロックを用いて経営幹部に遊びのトレーニングをしているとい う話を聞いたりすると、ちょっとこのままでは日本の将来は危ういかも・・と感じました。

「ハイコンセプト」に関するコラムはこれで完です が、取って置きのサイトをご紹介します。ワシントンD.C.にあるスミソニアン博物館が提供している「Invention at play(遊びからの発明)」です。 右脳が活性化されること受合いです。

秋も深まってきましたので少し色付いた足立美術館の庭園の画像を載せておきます。思いも寄らず魯山人 の文に出会った場所です。

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