Column

北川民次そして久保貞次郎

こども造形に取り組み始めたこともあり、これまで深く触れる事のなかったフレーベル、ジャン・ピアジェ、ペスタロッチー、フランツ・チゼックなどの書物を繙いていたところ「絵を描く子供たち–メキシコの思いで–」(岩波新書)に出会しました。北川民次著、1930年頃にメキシコでの野外美術学校の格闘を記したものです。
なぜ自分がこども造形をやるのか。そもそもの契機はすでに述べましたが、その根源的な思いに偶然にも出くわしました。ある意味衝撃です。
現実主義偏重の世界、モノを見る力の低落、闘争心の希薄さ等々、今後の日本がダメにならない、その手立てとして「未来のおとな」を育てる。そう信じるからこそ始めたことに、80年も前から取り組んでいた彼の心眼に触れ、驚きと共感。
それをきっかけに、論文、講演、対談集などを纏めた「北川民次美術教育論集」(創風社)を一気に読破。30年代から60年代後半までのそれらを収めているため、戦中の混沌、戦後美術教育の転換、民主教育改革というイデオロギーや安保騒動などが時代背景にあり、多少差し引く必要もあるでしょうが、今でも十分に通じる表現や情熱を感じ取れます。
幾つか、紹介を。
まず、伝統について。1969年のラジオ対談より。
彼はプリミティブヘリテッジの重要性を説いている。大阪万博で文明の進化が叫ばれている、そんな当時の言。
「私どもの心の底に流れている深層心理、すなわち原始人からずっとつながったところの一つの感覚といったもの、それを伝統と呼ぶ人はありませんけど、これこそ本物であって、われわれが常に伝統と名づけているようなもの、たとえば徳川時代や戦国時代から受け継いだ伝統といったようなものは極めて底が浅い。本当の伝統の源泉というものは、それじゃなくて、もっと底の底に流れている、あの心理学の教室でよくいう原始的遺産ってやつこそ、われわれにとって伝統の本家だ。」と述べている。大人にとっての「伝統」は芸能であれ工芸であれ、それはそれで収まりが良く心地よいものであるのだろうが、子どもには、よくある俵屋宗達の絵を題材にされても「伝統」でもなくモチーフに過ぎない。数百年成長した大木の幹を描いた方がよほど良いに違いない。そう思います。
次は闘争心について。
「児童が単にヨイ子であるということは、あまり賞讃すべきではない。彼らは闘争的でもあるべきである。児童には児童の現実があり、それに打ち克つためには、彼らとても、やはり闘争の手段が必要である。」(みづえ1950年より)
子どもが絵を描くという行為と『闘争』は、 時代を差っ引いても些か離れているように感じられるでしょう。しかし北川は”教育”の観点から述べている。「我々が児童に絵を描かせているのも、普通に考えているように、子どもがやさしい子になって、統率しやすいような日本人を作るためじゃあないでしょう。・・もっと本当の意味の生活の闘争。それを勇ましくやってのける人間を作らなくては。・・そういうのが本当の教育じゃあないでしょうか。」(北川・久保対談1967年)。過激とも見えるが、絵を描くと言うプリミティブな行為だからこそ言い切れるのだと思います。対象を観る、色や空気も読み取る、周りの調和も感じて表現する。こうしたものへの対峙をもって難しくとも克服する。そうした大切さを論じている大事な要素と感じます。
これは何もストイックに描けと言っているわけでもなく、何事も自由に描けということを全肯定しているわけでもないでしょう。
最後は精神の移転
「ぼくの最初のテーゼは、美術でも、そのほかのなにをするにしても、すべての自我、個性に影響するような仕方、絵をかかしても、絵だけが上手くなるんじゃあなくて、絵で獲得したところの精神が、他の仕事にも影響するようなこと、それをぼくは全我的教育といっていますが、そういうことを目指してやっている。」(同)
これこそが、自分で「こども造形」をやろう、やるべき、と思っていたことに通じます。
原始的な行為ほど誤摩化しが効かず、自ら受け止めなければならない。今の大人は往々にして言葉で誤摩化す。でも子どもは真摯に向き合える。そうした精神を持って大人になってほしい、そう願って取り組んでいきたいと思います。

最後に、
紹介した後半の対談に登場する久保貞次郎は、北川民次たち美術家を支援するとともに美術教育活動にも精力的に活動された人物です。自分の栃木県真岡市の実家から200m西に久保邸があります。そして1970年まで過ごした真岡小学校には氏が1938年(昭和13年)に寄贈された久保講堂がありました。1981年、老朽化に伴い移転され、現在国の登録有形文化財に指定されています。自身大好きなフランクロイドライトの弟子、遠藤新の設計です。

こういう取り組みを始めなければ、そこにあっても出会えない、実に縁を感じます。

久保講堂

造形教室のスタート

今月からいよいよ子ども造形教室のスタート。
代々木公園アートスタジオとの再会がなければ、このような形での開校とはならなかったと、縁の大切さを実感しています。
そもそもなぜ‘造形’なのか。これは自身が二十数年間ビジネスの世界で過ごし、クラフト、アートそしてデザインに関わっている今があるからこそ取り組むべきものと考えていたものです。
イタリアのプロダクトデザイナーであり絵本作家でもあるブルーノ・ムナーリ(Bruno Munari)は、デザイナーが企画をする際の要諦についてこう記述しています「創造力とは、方法のない即興を意味するのではない。それでは混乱が生まれるだけで、若者に自分は自由でインディペンデントなアーティストだと勘違いさせてしまう。企画の方法における一連の作業とは、客観的価値から成り立っており、その客観的価値が、クリエイティヴな企画者の手の中ではじめて有効な手段となるのである。(中略)デザイナーにとっての企画の方法は、絶対的なものでも、決定的なものでもない。そうではなくて、プロセスを改善するような他の客観的価値があれば、いつでも修正できる方法のことである。その行為は企画設計者の創造力へとつながるものであり、企画設計者は方法を用いるなかで、方法そものを改良するなにかを発見するかもしれない。つまり、方法の規則が企画設計者の個性を阻むことはないのである。むしろ、他の人にも役に立つかもしれないものを発見するように促すものなのだ。」(『モノからモノが生まれる』萱野有美訳、みすず書房)

これはデザインの領域に限らず、広くビジネスの企画立案にも全く当て嵌まります。「考える」「工夫する」「発見する」ことは、自由な思考の世界からではなく、一定の問題提起から方法論的プロセスを経て解決する中から生成される産物だと気付かされます。
そして”造形”に参加することは、プロセスを理解し実践できる誰でも取り組めるプリミティブな行為だと考えます。世に多く出ている速攻的ハウツーものなどをあれこれ読むより、「四六判の板材を使って機能性がありもちろん座れる椅子を3日間で作れ」という課題に取り組む方がよほど役に立ちます。

ではなぜ大人ではなく“子ども”なのか。子どもにとって造形は遊びの一種です。理屈の世界ではなく真から制作することに向き合える行為であり、そこからプロセスの大切さが学べプランすることの重要性も理解できる。そう考えています。遊びにも一定のルールがありますからこれも大切なこと。「遊び」についてはまた項を改めて。
造形を通じて「想像する」「考える」「推理する」「工夫する」そして「発見する」。そして創造力形成の土台を作る。後に彼らは、創造力を正しい意味で理解出来る“大人”に成長する。そんな仮説を実践によって明らかにすることに、微力ながらも取り組んでいきたいと思っています。

ベンシャーンの絵に触れて、表現することの凄さに感動したのは高校2年生の時。長い時を経てベーシックに戻った、そんな気もしています。

ボイスを通して見えるもの

11月21日水戸芸術館で開催されている「ボイスがいた8日間」を観てきました。
ヨーゼフボイス(Joseph Beuys)は芸術、思想、哲学あるいはポリティクスと広範にわたる活動をしてきたこともあり、専門的な扱いの人間と思っていましたが、いよいよ一般の人々こそが彼の活動を見直さなければいけないと感じる時間でした。以下感じたところを幾つか。

「資本とはいわゆる金融、お金ではとらえられないものです。わたしたち人間の創造力、創造性(the power of human creativity)こそが唯一資本であるということが明らかになる日が来るでしょう。」ある展示室に掲載されていた言葉です。実に溜飲が下がる思いです。70年代前半頃のものでしょう。資本(Capital)が金融(Finance)に依存するなど今となっては狭義のことにも捉えられるでしょうが、当時は資本主義邁進真っただ中。現在で派生して言われるのは人的資本(Human Capital)くらい。しかしこれも怪しい存在です。人材(人財)に求める基準とは一体何なのか?結局「組織」という枠組みの中で必要な人材を求める謳い文句に過ぎないのではないでしょうか。意地悪く言えば、イコール我が社の労働力。今大事な次元は社会全般での資本。Capitalはラテン語で元来生命を示す言葉。それが日本語になるとバランスシートを連想させる単語になってしまう。(ボイスが資本主義を否定しているからこういう表現になると言ってしまえばそれまでだが)なかなかボイスの言う‘人間の創造力’こそが唯一資本である、というところまで腹の底から思うまでにはいかないのではないかと思います。

日本語で「創造性」というと新しいアイデア、他にない独創性、発明など結果としての発案が連想される、あるいは刷り込みがされている向きがあると思います。その方が曖昧でなく解りやすいですから。しかし、本質はどうでしょう。‘創造性とは何か?なぜ重要かつ資本なのか?’ボイスの提言に向き合わねばならないと痛感しました。そこで今自分が思うことに近く、自分の中での定義のようになっているものを紹介しておきます。ボイスの言う創造力、創造性にどこまで対峙できるか。
西堀榮三郎は第一次南極観測越冬隊長として夙に有名です。しかし彼の本来は日本における品質管理の創始者的存在の人であり、現場の問題解決を紐解く神様のような存在です。彼はある著書の中で「創造性は人間の本能」と言っています。(これはサルを引き合いに出してるのだが、また別の項で)「創造性というのは『考える』という行為に対して起こるもので、まったく独創的な発明から私たちの身の回りの小さな工夫にいたるまで、ありとあらゆる場面において発揮できるものだということが分る。創造性とはまさに人間の本能で、神様から与えられた最高の贈り物なのである。」そして総論として‘自我の確立の必要性’と‘他我を認める’ことを創造性の重要な要諦と述べ、自我=強い個性があってこそ異質が生まれ、異質があるから別の新しい概念が生まれてくる。そして異質を認めてこそ個性が生かされ創造性が生まれる、ということを述べている。
さらに創造性についての各論がまたいい。「創造性とは、従来常識と考えられていることとは違う『非常識でやる』ことであり『非常識にものを考える』ことであるから、それは並大抵のことではできない。・・・私は、新しい着想なり発想はそれ自体で自然に大きく育って予期した通りの結果になることもたまにはあるが、ほとんどの場合それは望めないと思っている。非常識な発想がモノになるためには、それをする『馬鹿』といわれる人と、それを育てる『大物』が現れてこなければならないと思う。そうでなければ、素晴らしい着想も単なる『絵に描いた餅』に終わってしまう。」まさに自我の確立と他我を認める相互関係が想像できる。
今、国際競争力が課題となっている現状において「異質」がキーワードなのかも知れない。

戻って、ボイスはいわゆる鑑賞としての芸術作品を残したとは思わないし実際見ても良くわからない。先に述べた思想として、人間、創造性、芸術、科学などを時代に応じて向き合うことへの「問いかけ」をされているのだと感じた。そして主体として行動する基軸を提示されているのだと。70年代から80年代の経済成長から現在の状況を比較するに今どう考えるべきか、今後十年は何が大切になってくるか、こう問いかけられているような半日であった。
余談ではあるが、東京藝大の学生と来日した84年に対話してる当時のビデオが流れていたが、集会の油絵科の代表が宮島達男であったのも時代の転換を感じさせられた。

仕事とアートのフシギな関係

コンサルタントとして企業の改革・改善に関与していた頃に小関智弘さんを知った。と言っても書物を通してであるが、2002年まで50年以上も現役の旋盤工として働きながら町工場の実態などを精力的に伝え、直木賞、芥川賞の候補にも上がったほどの書き手である。
特に参考になったのが現場の仕事言葉の多様さである。鉄を削る時の言葉だけでも「削る(けずる、はつる)、挽く、剥る(へずる)、きさぐ、揉む、たてる、さらう、なめる・・」コンマ数ミリ仕事の相違や仕上げの違いでこれだけある。機械を使う「数値」だけでなく豊な言葉のニュアンスを手ごたえで知っているから良い仕事ができる、ということである。もともと日本の言葉は豊かである、雨は「時雨」「村雨」「驟雨」など。色は、ねずみ色でも利休だの深川だの嵯峨ねずみだの何種類もある。
仕事はどちらかといえばはっきりと言葉を‘コード化’しないと論理だって結論付けていくことができないと思いながらEラーニングなどを開発していた当時、微妙なニュアンスで事に取り組む現場と職人の世界に感動すら覚えた。職人で思い出すのが、薬師寺西塔の再建の際に東塔より30cm高く仕上げた理由が、木の収縮により200年後に同じ高さになるという恐ろしいほどの経験値と洞察力。自分がやってることは本当に仕事なのか?と問いかけられるほどのものだったのを思い出す。ものを伝承するとか、ものを解り一緒に仕事をすることは、実に理屈ではなく事への情熱や他人への共感などがない交ぜになって形成されるものであるということであろう。

白山に来られたお客さまが、偶々大学教授。話をするうちに「学生に講義をしてもらえないか。異分野で活動してる人の話を定期的にやっているので」ということで、ネタを考えていたら前段のようなことを思い起こし、テーマは「仕事とアートのフシギな関係」に。
その中で取り上げた一つが小関智弘さんの著書でも紹介されている「缶詰の安全なプルトップ」。これこそが仕事であり発明でありアートの要素に極めて通じる例であることから、簡潔に紹介します。

開発したのは谷啓製作所の谷内啓二氏で大田区にある従業員7名の町工場。TVの世界一受けたい授業にも登場した人。富山の中学を卒業後、上京して金型工として工場を渡りながら修行し、プレスの金型作りの会社を起こす。金型作り50年の大ベテラン。転機は70年代の後半にやってきた工場の機械化(ME化)。コンピュータ制御でロボットによる無人化が進むが「ウチではコンピュータに出来ない事をやろう。机上の計算だけではできないことに取り組もう。」と独自の路線を進む。安全なプルトップ開発の切っ掛けは、アメリカの損害賠償の新聞記事。缶詰事故によるPL法での損害賠償が激増し、あるピアニストが1億円の訴訟を起したとのこと。缶詰メーカー1社だけでも年間千を超えるトラブルがあった。世界中で年間三千億個もの普及品なのに、工夫が足りない。日本でも大手メーカーや大学の研究室が束になっても進まない。これは商売のチャンス!と谷内氏は開発に取り組む。取り組んだのは、まずは工夫。何が、違うか。接合・切断面の工夫。切り口そのものでなく、S字状のループにし、取った後自然に内側に巻き込まれ隠れてしまうような構造を思いつく。

しかし構造は考えついても、取る力と鉄の応力の釣り合いが難しく取れなかったり、切り口がうまく隠れなかったりと試行錯誤。機械でも計算できず、実現には職人としての勘と感覚がモノを言う。千分の一ミリを勘を頼りにS字の形や位置を決めていく。成功までに5年間を要し失敗作は150を超えるほどに。工場が2つ建てられるほどの投資だったとか。見事な執念。これもきちんとした技術の領域を理解していたから出来たことでもあるが大事なのは常識に頼らす「構造的」に仮説を設定し、それを勘や閃きを駆使して工夫を重ねる。認知するところの多様さはアートそのものではないか!と思ったものである。エジソンは「天才とは1%の閃き(inspiration)と99%の努力(perspiration)のたまもの」と述べたが、1%でも閃きがあれば不可能なことではない。しかし閃きがなければ何もはじまらないということの好例であろう。
ちなみに開発後、谷啓製作所は特許を60件以上取得し、30もの国から工場視察にやってくるまでになったとのこと。
スライドは学生に話した際のスライドの一部です。

北欧見聞 – 街のデザイン、空間のデザイン (その2)

以前「意匠考」と称して日本のピクトグラム(Pitogram)の活用の酷さを述べました。そして今も相変わらず目を覆うものばかり。デザイナーってホントにいるの?というより採用側の責任に違いありません。そんなにセンスのないデザイナーばかりではないでしょうから。北欧で見つけたものを幾つか。まずは典型例。

実にシンプル。日本であれば、やれ全体を表記してない、順番が統一してない等と批判する向きもあるでしょうが、本質は、乗って良いものと駄目なものが脳にインプット出来れば良いわけで、直観に訴えること。どうしても理屈やエクスキューズを求めがちです。
日本の電車の車両内でも最近はすっきりとしたサインが目立ってきましたが、こういう直観型がもっと増えてくると本来の役割を果たして行くのだと思います。下右画像の右サインは解りますか?Quiet Coachということで静かに過ごす車両。ひそひそ話しもいけません。どこの国にもいますがそんな時、注意するオジさんとかが活躍しています。こんなサインがあるのですから普通の車両はもうとっても五月蝿いです。スウェーデンのヨーテボリまで行く車両では大きなラジカセ(もう死滅していたかと)をイヤホンでなく鳴らしている若者がいました。携帯で大きな声で話をしているビジネスマンも。ピクトグラムの話題とはズレますが、携帯はマナーモードで、とか五月蝿くアナウンスされるより、携帯電話を存分に使える車両と一切禁止という車両が分かれてた方がわかり易いかも知れません。

街並みに融合するものも多く見られました。店の看板と同等の扱いをされるサインは美しく、色もよく考えています。

これは公園などにあるゴミ箱。スウェーデン在住の知人に画像を送ってもらいました。
何を捨ててはいけない、などと記載なし。右は犬の糞用のもの。

最後に潔いものを。この位の勢いで使っているものを見ると嬉しくなります。落書きもまた一興。

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